1949-05-23 第5回国会 衆議院 大蔵委員会 第39号
○長沼説明員 自給製塩制度は戰爭末期に終戰直後の外塩輸入の杜絶による塩需給の逼迫に対して、大きな貢献をしたのでありますが、その後司令部の厚意により外塩の輸入も潤沢になり、その存続の根拠を失つたのと、とかくやみの温床になりがちでありますので、今次專賣法の改正に伴い、その制度を廃止することとしたのであります。
○長沼説明員 自給製塩制度は戰爭末期に終戰直後の外塩輸入の杜絶による塩需給の逼迫に対して、大きな貢献をしたのでありますが、その後司令部の厚意により外塩の輸入も潤沢になり、その存続の根拠を失つたのと、とかくやみの温床になりがちでありますので、今次專賣法の改正に伴い、その制度を廃止することとしたのであります。
今次戰爭末期より華北、華中よりの原毛及び竹軸の輸入が閉ざされ、加うるに経済界に混乱と惡性インフレのため、由緒ある民族産業が壞滅の危機に迫り、熊野町の総戸数二千二百余中、家業に副業にほとんど関係を持たないものはない郷土の存亡の問題となつている。
いかに古くなる申しますか、相当りつぱになり、技術ばかりでなく事務的才能を持つておりましても、局長にはしなかつたのでありますが、たしかこれは戰爭末期ごろからかと思いますが、事務官、技術官の区別なく適任者は局長にするという建前にかえまして、現在もそれでやつております。ただ現在はやはり行政官の方が少し多いような次第であります。
私どもは、御承知のように戰爭末期あるいは終戰後、日本の塩の需給関係から塩の生産設備を非常に拡張いたしまして、かたがた燃料の配給等にもできるだけの力を注いで、多くしようとして参つたのでありますが、石炭の生産事情が非常に惡かつたため、また一面外國からの輸入が、司令部の厚意もありましたが、割合にできるようになつたために、どうしても石炭の塩にまわる分が少くなりましたので、かように塩の生産も減つて來たような次第
○原田政府委員 御承知のように、塩の問題につきましては、戰爭末期から終戰後にかけまして、需給関係が非常に不均衡となりましたので、政府が相当の経費をかけて奬励いたしまして、増産をはかつたのでございます。それで設備も相当ふえました。現在におきましては、大体全國で年産七十万トンぐらいは、フルに動けばできる程度の設備があるのであります。
戰前はこの黄色種が日本の在來種と同じ程度ぐらいまで、たくさんつくられておつたのでございますが、燃料等の関係で戰爭末期から非常に減りまして、今では黄色種は在來種に比べて少いのであります。今後はこれをふやして、在來種をだんだん減らして行きたいという考えをもつて進んでおりますし、今後も進んで行くつもりであります。
実は戰爭末期になつて全國で出張所を整理したものがたくさんあるのでございますが、最近タバコの販賣高も相当急激に増加いたしましたし、また一面ただいまお話のありました取締りの問題等もありますので、もとやめましたようなところで必要なところには、出張所の復活をやつた方がいいではないかという考えで、いろいろ調査をいたしまして、必要なところには出張所を設けるように研究いたしております。
これについては御指摘のように、戰爭末期におきまして休廃山いたしましたところの金が鉱山の復旧、或いは殊に青化精錬所の建設復旧が最も必要であろうかと存じておるのであります。
それは大体戰爭中から戰爭末期にかけましてだんだん藥が不足いたしまして、終戰後、昨年、一昨年あたりはむしろ質の問題等よりも、量的に藥が非常に足りない。そのためにいろいろ國会あたりで問題になつたわけであります。
○遠藤證人 戰爭末期から逆に申しましよう。私が責任をもつて生産してから終りまでみんな控えておりますので、御入用なところだけ申します。七月一千三機、六月一千四百十五機、五月一千六百二十五機、四月一千八百十六機、三月一千九百三十五機、二月一千二百六十三機、その月は下つております。
○遠藤證人 戰爭末期における飛行機の生産状況は、昭和二十年七月月産千機をやや超しております。正確に申しましようか、記録を持つておりますから。
森林資源造成法は、御承知のように戰爭末期における議員提出の法律でございますが、この法律は当時の植伐不均衡の状況、つまり山の木がどんどん伐採せられますけれども、一向跡地の造林が行われない不均衡の状態を憂えた有識の人々の提唱になるもので、その内容は森林所有者が造林その他一定の森林行爲をなすに当つて、その費用の二分の一に相当する金額を農林中央金庫はその倍額に相当する森林資源造成証券を森林所有者に交付するのでありまして
これは戰爭末期になりまして、原料が非常に減つてまいり、同時に人的、物的方面でいわゆる轉業問題が起りました時期に整理をいたしました。これが業界の、いわゆる当時における民主的に申しますか、それぞれ都合をはかつてやつていただいたわけでありますが、実際においてやめられた方が氣の毒であるということは、おつしやる通りでございます。
その概要を申上げますと、我が國の傳染病発生の趨勢は戰爭末期からだんだん増加の傾向でありまして、終戰後の社会的混乱の結果昭和二十年、二十一年と引続いて傳染病の爆発的発生と蔓延を惹起したのでございます。
タバコは御承知のように非常に肥料を食いますので、戰前自由な時代には非常にたくさんな肥料を使つておつたのでありますが、戰爭末期から肥料の配給が少くなつたのであります。昨年一反歩あたり六貫程度の硫安の配給があつたのでありますが、今年度は十二貫の硫安の配給がある。肥料をたくさん使いますことによつて、品質も相当向上するものと思います。これは量の点においても増加します。
我が國の傳染病發生の趨勢は、戰爭末期より逐増の傾向にありましたが、終戰後の社會的混亂は、昭和二十年、二十一年と引續き傳染病の爆發的發生と蔓延を惹起いたしまして、加うるに戰爭によりまする疲弊、特に衞生施設、醫藥品等の不足等悪條件を伴いまして、誠に憂慮すべき状態にあつたのでありますが、幸ひに連合軍諸國の強力なる援助を得、國民の協力と關係當局の努力の結果、昨年に至りまして漸く終熄を見たのであります。
わが國の傳染病発生の趨勢は戰爭末期より逐増の傾向にありましたが、終戰後の社会的混乱は、昭和二十年、二十一年と引続き傳染病の爆発的発生と蔓延を惹起いたしました。
先般國際労働会議復帰への決議がなされましたので、衆議院の決議をさらに尊重しまして、私からキレン労働課長に会いまして衆議院の決議の趣旨、さらにその後の経過等を説明した結果、キレン課長も非常に乘氣になりまして、いろいろと手続上の問題についてアメリカの労働省の次官、シーボルト使節外交部の方に折衝してくれたわけでありますが、その結果、総括して申しますと、イタリアが講和会議前に復帰ができたということは、イタリアが戰爭末期
○原説明員 製塩用電力につきましては、御承知のようにこれは戰爭末期から、戰爭の終つた直後にかけまして、外塩の輸入が急激に減り、しかる後これが杜絶した。こういうことを反映しまして、國内では非常に塩が不足しておつた。
先ほどからのお答えが少し足りなかつたのじやないかと考える次第でございますが、現在商工省におきましては、戰爭末期から終戰後を經まして今日に至るまでに、數囘の配置轉換を行つております。
こうしたもの及び、個人及び法人におきましてもそうでありまするが、最近に、及び戰爭末期頃からできました家屋につきましては大部分のものは賃貸價格というものが決定しておらないように思うのであります。特に法人の持つておりまする家屋におきましては賃貸價格の決まつておらんものが相当ございます。こうしたものにつきまして賃貸價格の何倍というような税率をかけるということは非常にむずかしいと思うのであります。
麦類、芋類は、戰爭中の特別の増産政策の結果として一時的には増加いたしましたけれども、麦は戰爭末期より減少への傾向がはなはだしくなつておるのであります。すなわち、昭和十六年は百六十五万町歩、十九年は百七十七万町歩になりまして、二十一年度は百四十五万町歩となつておるのであります。